2020/11/06
月川は24歳になりました!!!
23歳、自分の中では新たに殺陣とは別に「芝居」を始めたり、初舞台を踏ませていただいたり、演技教室に通ったりと新たに始めたことが多く、戸惑ったり足踏み状態なことも多かった歳でもありました。
それでも変わらず𠮟咤激励を飛ばしてくださる方、私を想い叱ってくださる方、新たに出会った信じて一緒に芝居をしてくれる先輩や仲間たち。
そんな自分にはもったいないほどの人との縁にも恵まれた23歳でした。
ありえないほど縁が続くこともあれば、こうもたやすく切れてしまうのかと思うような縁。
「人生は電車のレールのようだ」
まさに体感した1年でした。
24歳になったからと言って、これといって普段の生活が大きく変わる訳ではありません。
でも22歳より23歳、23歳より24歳とより成長していくためにも、これまで教えていただいたことや感じたことを一つ一つ噛みしめて、味わって、楽しんで24歳を過ごしたいと思います。
今日のブログはここまで!
最後に少しだけ昔話を。
高校一年生の時に「いつ死ぬかわからない、明日心臓が止まっても不思議ではない」とお医者さんから言われた。
「なんで私がこんな目に」「なんで踊れないの」「なんでお芝居できないの」「なんで心臓が痛いの」「なんで」「なんで」「なんで」
約二年間、家と病院の天井しか見られなかった。階段さえ一人でまともに登れなかった。
中学生のころから役者になりたかった私はその時、役者になることも、生きることすらもあきらめようとした。
でもあきらめきれなかった。リハビリしては壁にぶつかり今度こそダメだとあきらめた。
そしてまたあきらめきれずリハビリでダンスを始めた。
ダンスがとにかく楽しかった。踊ってる間は将来の不安を考えずに済んだから。
芝居をしている時間が幸せだった。体中が痛いことを忘れられたから。
幸い今は寛解し、支障はなくなった。
でもその間苦しむ私を見放さず治療法探しに明け暮れ、付きっ切りで介抱してくれたのは家族だけだった。
そんな家族の反対を押し切って、私は役者やダンサーとして活動している。
何度も両親から止められる中芝居がしたいと訴えた。
何度もそんな自分のことを親不孝者と心の中で罵った。
そんな自分の舞台に必ず毎回観に来てくれる両親。
恩返しなんてかっこつけたことはまだしばらくできそうにないです。ゴメンナサイ。
でも少しでも早く”安心”してもらえるよう、この道でもうしばらく頑張らせてください。
いつも支えてくれてありがとう。
2020.11.6